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2022年12月29日に享年81歳でヴィヴィアン・ウエストウッド氏がこの世を去ったとの報道がなされました。
わたしにとって、かなりショッキングな知らせでした。

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ヴィヴィアン氏について少し紹介します。

“パンクの女王”としてモード界に君臨し続けた彼女のキャリアの始まりはマルコム・マクラーレンとの出会い。
1971年にロンドンにふたりの店をオープンし、それから才能が大きく開花します。

マルコムとヴィヴィアンプロデュースにより結成されたパンクバンドがSEX PISTOLS。

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1975年の終わりから1977年にかけてパンクが一世風靡した理由は、当時のイギリスにおける都会の貧困層や若年層の怒りを代弁していたからだと考えられています。

しかし1978年から1979年にかけてセックス・ピストルズが解散しベーシストのシド・ヴィシャスが亡くなった後、1981年にヴィヴィアンとマルコムは決別しました。
 

ドキュメンタリー『ヴィヴィアン・ウエストウッド 最強のエレガンス』の中で「パンク・ムーブメントは失敗だった」「わたしたちは体制を攻撃どころかうっぷんをさらしていただけ」とヴィヴィアンは後に語っています。

1981年秋冬にはパイレーツ・コレクションを発表。
これ以来、彼女にはファッションデザイナーという意識が芽生え、自国の伝統文化に向き合うように。

現在のコレクションに至るまでコルセット、クリノリン(19世紀中盤に流行したドレスを膨らませるために入れた針金などで作った枠組み)、ハリス・ツイード、タータンチェックなどの歴史的衣装をモチーフにしたスタイルは、ヴィヴィアンの定番に。
ただし、過去のスタイルに暴力性とセクシーさという革命を添えて独自の世界観を作り出し、政治的なメッセージを世界へ発信するのがヴィヴィアン流。

2010年頃からは、積極的に環境・動物・人権保護の分野でも活躍を行います。
またファッション・コングロマリットの傘下には入らず、これ以上店舗を広げるつもりはないと発表するなど、独自の路線を貫きました。

わたしがヴィヴィアン・ウエストウッドを知ったのは、中学生の頃から貪るように読んでいたサブカルチャーの発信源、雑誌「宝島」。
そこに載っているSEX PISTOLSのビジュアルに乙女心をカキーーンと見事に撃ち抜かれました。

ぼろぼろのガーゼシャツ。
赤いタータンチェックのボンデージパンツ。
ラバーソールの厚底シューズ。

洋楽は苦手でしたが、今まで見たことないスタイリッシュなこんな、バンド放っておくわけにはいかなかった。

こうしてレコードやバンドの解説本を買い、いっぱしの中指たてるPUNK少女が出来上がりました。

幸い(?)簡単な英語からなる歌詞も覚えやすく、レコード鳴らしては口ずさんでいた日々。
ぬくぬくした日本の田舎の片隅で「No Future」と呟くことで、まわりとは違うんだって思えた気がしたあの頃。

思えばわたしにとって、音楽とファッションを融合して考えるきっかけになったのが、ヴィヴィアンとピストルズ。

それ以来わたしの憧れはラブジャケット。
この服を美しく着るには、女性らしい身体のラインと自立した大人女性像が必要な、気軽には手を出せないと思える一着です。
残念ながら、今のわたしには着こなすほどの体型も度量も持ち合わせているとは言えません。

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しかし人生の目標のひとつとして、還暦には真っ赤なラブジャケットを着る!着るに値する人間になる!と決めています。

「人は完璧でなくてもよい、矛盾や罪悪感のなかでも今できることをやる。パンクはファッションじゃない、より良い世界を求め続けること。」
パンクの精神はこれからもヴィヴィアン・ウエストウッドの服に生き続けていくことでしょう。

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